俺の日記

思い立ったら吉日!日々の考えを綴っちゃうよー!

今朝は強烈な「俺何やってんだろう?」で目覚めました。

ブログ二日目。基本、できるだけ毎日書こうと存じております。はい。

 

今朝とても大事な友達の一人から「ブログ見たよ〜…」の内容でラインが届いた。シンプルに嬉しくて本日もキーボードを叩いてるぜ!!

 

今日はブログ何書こう?って思想が局所的に日々に定着するこの感じ…新鮮だぜー。

 

 

 

話し移しまして。

この前大阪にいるおじぃちゃんがこちらに遊びに来ておりました。まぁもう80代後半に差し掛かってるから遊びに来てるってよりは『生涯最後の大冒険達〜茨城編〜』的な感じなのかも知んないけど。とにかく来てました。

 

うちのおじぃちゃんはとにかくお酒が好き。だから晩酌に同席して、ついでに適当に話してたら、なんかの会話の流れで急におじぃちゃん(一々〝おじぃちゃん〟と打つのが面倒になってきたので、以後〝クソジジィ〟とします。)が、「思い出した!」と。

 

「存在は意識を決定する。それや!翔太朗(俺の名前)!それや!」と。

 

「なんや昔、ロシアかどっかの…ロシアだったけかな?まぁええ、とにかく翔太朗!どこぞの思想家のなんとかっちゅー奴がそう言ってたんや!俺はその言葉にえらい感銘を受けたんや!」と。

 

「ええか翔太朗(一々〝翔太朗〟と打つのが面倒になって来たので、以後〝クソ野郎〟とします。)これは有心論、有物論を決定づける。画期的な思想だったんや。」と。

 

 

 

クソジジィがクソ野郎に話してくれました。

 

 

 

そして、そのクソジジィの話をクソ野郎はありがたく頂戴しました。

 

 

 

正直クソジジィが酔っ払ってて、ついでにクソ野郎も酔っ払ってたので、まるで信憑性にかける、何でもない会話だったのですが、(そもそもロシアの誰かが本当に言ってたのか、そもそも本当にそんな語録があったのか、有心論だとか有物論だとか、特に調べず、このままお送りいたします。)なるほど。今正にこの「存在は意識を決定する。」事なのだと。

 

つまり、「ブログ」という存在が、俺にブログを書こうとさせる「意識」にさせてるのだと、「決定」をさせてるのだと。(もう一々〝「」〟と打つのが面倒になってきたので、以後〝クソ〟とします。)

 

そこでクソ野郎はクソジジィに質問しました。クソじゃあそれは例えば絵画、音楽、映画等のいわゆるアートなんかを見た時の感情にも言える事なのかいクソジジィ?クソ。

 

そしたらクソジジィはクソ野郎にクソ正にそうだクソと教えてくれました。

 

 

 

もうなんか少し怖くなって来たのでこの辺にしときます。俺病んでんのかな?

とにかく大事な友達やクソジジィのお陰でクソ野郎はクソブログクソを毎日更新できそうでおります!!